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東京地方裁判所 昭和31年(ヨ)4085号 決定

申請人 大館一良

被申請人 国

主文

被申請人が申請人に対し昭和三十一年七月二十日附でなした解雇の意思表示の効力を停止する。

被申請人は申請人に対し金五万円及び昭和三十二年十二月以降月額一万二千円を毎月十日仮に支払え。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

一、申請人は主文同旨の裁判を求めた。

二、申請人は昭和二十六年七月一日被申請人にいわゆる駐留軍労務者として期間の定めなく雇傭され、府中兵器廠所沢支廠に電力電気工として入職勤務していたところ、昭和三十一年七月二十日附で埼玉県所沢渉外労務管理事務所長名義により、日本人及びその他の日本在住者の役務に関する契約に対する附属協定第六十九号(附属協定第六十九号と呼ぶ)第一条A項に該当するものとして解雇の通告をなされたことは当事者間に争いがない。

三、そこで右解雇が不当労働行為であるとの主張について判断する。疎明によれば次の事実が認められる。

(一)  申請人が昭和二十九年十一月頃全駐留軍労働組合埼玉地区本部所沢支部(以下支部名で略称する)に加入した当時、その勤務していた所沢兵器廠オーデナンスには労働組合加入者はなく、職場労務者は殆んど相互扶助会たる団体に加入していた。

右相互扶助会の設立時には会長フレーザー少佐なる貼紙の告示がなされたこともあり、その幹部は殆んど職制で占められ、そのため申請人らの組合加入以前その運営について労務者の批判をうけ、労働組合化が論ぜられたことがあつたが、その頃米軍労務士官が扶助会幹部を呼び、その事情を尋ねた上、扶助会のまま続ける方針に賛意を表したこともあり、労務者は組合活動家であることが軍に知れるときは解雇の脅威を感じるのが一般であつた。

右のような状態の中で、昭和二十九年十一月頃申請人並びに中山七郎、横田常吉らが中心となつて労務者に所沢支部加入の勧誘説得を強力におこない、特に申請人は組合結成に対する米軍の圧迫をおそれ組合員である資格をかくすため未加入の形のまま活動を続け昭和二十九年十一月頃組合加入賛成者を得て前記のとおり組合に加入したが、昭和三十年一月当時組合加入者約百四十名中八十数名は申請人の説得によるものであつた。

(二)  申請人は組合加入者の中心人物であると共に前記相互扶助会に反対する急先峰でもあつたが、たまたま同会幹部に同会の会計上の措置について不明朗を疑わせる点があつたことに端を発し、申請人らは同会の解散大会を開くため署名運動をおこし、その解散大会において申請人は議長となり幹部を追及したので、昭和三十年四月頃同会は解散するに至つた。相互扶助会解散後オーデナンスに親睦会が結成されたが、同会は表面上は相互扶助会と関係はないとしていたが、発起人の多くは職制であり、実質は相互扶助会と同性格のもので、基地内に事務所をおくことを許容され、専従者として駐留軍労務者二名をあてることを認められ、その機関紙を職場に配布するについて軍から制限を受けなかつた。組合については同様の処遇は許されなかつた。(その後親睦会の事務所は基地外に移された。)申請人は昭和三十年四月キャンプ所沢支部定期大会において支部執行委員に選出され、教宣部長の職に就いたが、昭和三十年の春季賃上闘争において親睦会機関紙が組合の行動は破壊的であるなど組合の行動を批判する記事を掲載したのに対し、反論を組合機関紙に執筆し組合の親睦会に対する抗争に重要な役割を果した。

(三)  昭和三十年五月頃から五回にわたり四三大隊(所沢基地内の米工兵隊で兵器廠オーデナンスとは組織系統を異にするがその労務者は共にキャンプ所沢支部の組合員であつた)において人員整理が行われたが、その際キャンプ所沢支部の執行部で、オーデナンス出身の申請人らの整理反対の強硬意見と四三大隊出身委員の意見が対立した。又同年七月頃当時のセントラルコマンド労務連絡士官パトベリーが埼玉地区本部委員長、同書記長に対し、同地区内の朝霞支部書記長福井達三を組合から排除するよう求め(埼玉地区本部はこれを拒否した)、その後同年八月十九日に朝霞支部橋爪執行委員長、高橋副執行委員長が出勤停止処分となつたが、この措置に対し組合の執るべき態度についてもキャンプ所沢支部執行部で、これを不当労働行為として強硬な反対策を主張するオーデナンス出身の申請人および中山七郎らの執行委員の意見と、場合によつては福井にやめて貰うとの四三大隊出身委員の意見とが対立した。このような意見対立その他の事情から昭和三十年十月二十一日に至り所沢オーデナンスの組合員はキャンプ所沢支部から分離し所沢オーデナンス支部を結成するに至つたが、同結成大会において申請人は同支部副委員長に選出され、かつ埼玉地区本部委員となつた。

(四)  昭和三十年十一月に至り昭和二十六年頃から支給されていた特殊作業手当が、同年九月に遡つて支給されないこととなり、十一月に支給された給料から差引かれたので組合は労管に抗議し合同協議会において申請人らが更に追及の結果手続(労務連絡士官の承認が欠けていた)及び作業内容に疑義があつたため軍において労管に連絡なく打切つたものであることが判明し団体交渉と作業の実体調査を重ねた結果、漸く翌三十一年一月末頃作業実体に適応して支給されることになり解決した。

(五)  昭和三十一年春全駐留軍労組の賃上要求闘争において、支部副執行委員長、教宣部長であつた申請人は当時石川委員長が病欠勝ちであつたので支部闘争委員長となり、各職場をオルグして(その間米軍の視察にであつたこともある)スト権確立のため活動したので、同支部は埼玉地区本部中もつとも早くスト権を確立した。その間にモータープール人員整理問題がおき、同支部は労働強化になるとしてこれに反対し、五月十七、十八日のストライキ通告をするに至つたが、結局組合の中央の話合いもなされ整理案は撤回され全員配転で解決した。この間申請人はゲート前で演説するなど整理反対の宣伝をしたので軍の注目を引いた。

(六)  申請人は昭和三十一年七月三日支部定期大会において支部執行委員長に選出されたところ、同月六日に米軍より基地外退去を命じられ、同月二十日に解雇通告を受けた。

右のように申請人はキャンプ所沢支部(のち所沢オーデナンス支部)の中心人物であつて、その組合活動は活発かつ積極的であつたことは明白であり、その活動の状況からすればその活動は米軍に知れていたものと推認するのが相当である。してみれば米軍が組合活動家である申請人を好ましくない人物として注視していたであろうことは推察するのに難くない。

ところで申請人の解雇はいわゆる保安解雇であつて、申請人が附属協定第六十九号第一条A項(3)の保安基準に該当するとの理由によつてなされている。疎明によれば右協定第一条A項(3)号の定める基準は「(3)前記(1)号(作業妨害行為、諜報、軍機保護のための規則違反、又はそのための企図もしくは準備をなすこと)記載の活動に従事する者、又は前記(2)号(A側の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的に且つ反覆的に採用し、もしくは支持する破壊的団体又は会の構成員たること)記載の団体もしくは会の構成員とA側の保安上の利益に反して行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的にあるいは密接に連繋すること」である。

しかし右保安基準該当の事実について被申請人はなんら主張疎明するところがないので解雇の事由の妥当性を認めるに由ない。したがつてこのこと、前記認定事実とを併せ考えれば本件解雇の決定的理由は申請人の正当な組合活動にあるものと判定すべきである。

被申請人は保安解雇の手続は昭和三十一年四月十日以前に開始されており当時は申請人の活動はまだ活溌でないから、その組合活動は考慮される筈がないと主張する。しかし疎明によれば、米軍が調達庁に対して同年四月十一日附書簡により申請人の保安基準該当性について意見を求めたことが認められるけれども、申請人の組合活動がその以前から活溌であつたことはすでに認定したとおりであるうえ、その後米軍が労務管理事務所に解雇要求をするまでの間の活動が考慮されないと認むべき疎明は存しないから前記認定を覆えすことはできない。

従つて申請人に対する本件解雇は労働組合法第七条第一項に該当するものであつて無効であるといわねばならない。

四、疎明によれば申請人は被申請人より諸手当を含めて月額一万六千円の給与を受けて零細農である家族の生活を支えていたもので、本件解雇により収入の道を絶たれ、その後暫くは委員長として組合より若干の補償を得ていたが、定期大会でその地位を去つてからは全く現金収入の道を断たれているものであり、労務者としての地位を回復し、給与の支払を受けなければ償うことのできない損害を受けるものと認められるので、主文掲記限度で仮処分の必要性があるものと考える。

よつて申請人の本件仮処分申請をその限度で認容し、申請費用について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)

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